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続・戦闘力のインフレに関する工夫『HUNTER × HUNTER』が継続して描く強さの多様性

作成年月日
2016年06月28日 22:35
【中指の鎖を引っ提げて、主人公たちの先を行っていたクラピカ】

こないだ『HUNTER×HUNTER』の新刊(33巻)が出たので、また最初の方から読み返したりしていたのだけど、こう、子供みたいにね、気になるのですよ。「ヨークシン編(幻影旅団編)」の時は、念を覚えたてのゴンやキルアに較べてクラピカの方が断然上だったけど、「キメラ=アント編」を経た今、その辺の強さの順位というのはどうなってんのかなぁ、というような事が。

この作品のインフレ回避に対する配慮の程は『戦闘力のインフレに関する工夫』で僅かばかり触れたけれど、その記事を書いたのは2007年。今から約9年も昔のことであり、その時の最新刊は第23巻であった。大雑把に言ってあれから10年、週刊連載で10年続けていれば巻数も膨大になって……ないな。10巻しか増えてない。何故だろう……。

計算が合わない謎は置いといて、それでももう30巻を越えている。その事実を前にして驚きはさらに深くなるのだ。30巻を越えてなお、インフレが起きていないことに。

敵に関しては見た目上インフレが発生しているような気はする(注1)。キメラ=アント編で相対した王とその護衛軍の強さというのはそれまでの常識のひとつ上であったし、ネテロ会長と王の直接対決は、技術と読みでせめぎ合った過程の果てに、火力(零) + 火力(爆弾)で決着した。そして、今から向かう「新大陸」の生き物たちは、作中でもカテゴライズされているようにキメラ=アントたちの危険度Bをひとつ上回る「危険度A」の災害級生物である。なるほど、敵はどんどん強くなっているように思える。

しかしこれは、都合のいいインフレ(敵が弱いものから順番に出てくる)ではなくて、単に主人公たちのステージが上がるに連れて遭遇する敵のレベルが上がっているだけである。キメラ=アントは偶発的に発生した物かもしれないが、他の「敵(という呼称もそぐわないが)」は、前からずっと居たのだ。「幻影旅団」も「天空闘技場」も「グリードアイランド」も、そして「新大陸」も、主人公たちがハンターライセンスを取得する前から存在していて、けれどそこにアクセスできる資格を手に入れない限り、それらは「存在しない」のと変わらない。

ゴンとキルアが念を習得していなければヨークシンで幻影旅団に遭遇することもなく(絶が出来なければ早々に尾行に失敗するから)、旅団の誰とも言葉を交さぬままグリードアイランドへ……いや、念を習得してなければそもそもグリードアイランドに行くことも出来ないのか……えー、その場合は何をするのだろうな。同じく「キメラ=アント編」においても、そこそこの実力を認められていなければカイトに追い返され、ピトーに遭う事もないまま、もしかしたらどこかの街で世界の終わりを目の当たりにしたかも知れない。順番に敵が強くなって行くのではなく、主人公たちがより高度なステージにアクセス出来るようになって行く、これはどちらかと言うとスポーツ物の、地区大会で優勝したので次は全国大会、それが終わったら世界大会だ、という方式である。

でもまぁ、それはそれでやっぱりインフレだよね、と思われるかもしれないが、しかし最初に言ったように私は「結局今現在クラピカの強さってどの辺なんだろう」という事を考えたりするのだ。何故考えるかと言うと、よく分からないからである。強さのベクトルが一つではないから。そういう風には描かれてはいないから。

【”色んな強さがある”という事を知ったキメラ=アントの王、】

『HUNTER × HUNTER』の世界における「強さ」の定義は多岐に渡る。火力を軸に評価するのであれば、ジャジャン拳を見た人間が皆一様にドン引きする辺り、ゴンの方がクラピカを上回っているように見える。もしクラピカが「キメラ=アント編」に同行していたら、元々の出自が異常な戦闘力を誇るクルタ族(注2)とは言え、中指の鎖が使えない状況下でどの程度の事が出来たのかという気もする(注3)。

けれど、それでもクラピカがゴンやキメラ=アントに負けるところは想像出来ないのだな。そこは作戦で何とか出来そうな気もするし、普通の生活の中で先に相手を殺した方の勝ち、という状況だった場合、まぁ、クラピカが勝つであろうなぁ、という気になる。戦う前から情報を集め、コネを作り、逃げ道を塞ぎ、未来を予測し、どんな手段を用いようと相手を死なせれば良いとなった時、そこで火力が担う役割はさほど大きくないという事を、継続して描いて来たのが『HUNTER × HUNTER』なのだから。

火力に較べて知力や洞察力や財力の方が重要という訳でもないが、火力を含め今挙げたどれもが不足しているレオリオが未だ主人公たちの一角を担えるのは、この世界が何か一つ極めていればそれでどうにでもなるような単純なものとして描かれていないからである。どんな能力であれ、それを用いて強く在る事は出来るという浪漫と、けれどこの瞬間、今この時に必要なのは他のどれでもなく火力だった、という浪漫も忘れない(注4)。

当たり前の感想ばかりダラダラと書いて来たけど、要するに私は舌を巻いているのだ。33巻を越えてもなお、底が尽きる気配を見せない強さの多様性を描いてくるこの作品とその作者に。

注1
幻影旅団とキメラ=アントのどちらが強いのか、という問題は実はちょっと難しい。幻影旅団やプロハンターの上位がキメラ=アントの師団長クラスを圧倒できる事は確かなのだが、そこのレベルと護衛軍・王の間が開き過ぎていて「幻影旅団 vs 護衛軍・王」のシミュレーションが上手く働かないのである。まー、普通に考えて護衛軍の方が強いであろうという線を今回は取った。
注2
クルタ族は別に念を会得した民族という訳ではなかろうし(そうであればクラピカが裏ハンター試験で念を知らずにまごつくことも無かったろう)それでいて幻影旅団のウボーに「あいつら強かったな」と言わせるくらいの戦闘力を発揮したのだから、念を会得したクルタ族であるクラピカの戦闘力と言うのは、鎖無しでも幻影旅団を倒せるくらいでなければならない気もするのだがどうなのだろう。
注3
対人戦ではない、未開の地でモンスターが相手、というシチュエーションに自分が向いていない事は33巻の中でクラピカ自身が認めている事ではある。
注4
カイトの死をピトーに確定され、そこで戦う段になって機転やトラップで勝たれてもそれはそれで困るのである。