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映像表現としての「マリア様がみてる」(3):楽園からの逃走

作成年月日
2010年04月14日 00:00

概論


アニメ版「マリア様がみてる」は3期OVAで急激に針路を変えた。キャラクターデザインは全て見直され、根本的な頭蓋骨の形から頭髪の解釈、洋服のシルエットなどあらゆる要素が数段高いレベルに引き上げられた。おそらく女性の意見を相当取り込んだのだろう、僅か5巻のOVAにもかかわらず作中では各キャラクター達がTPOに応じて髪型や服装を替え、空間にフィックス出来る正確なモデリングとセンスの良いデコラティブなディテールを同時に実現したデザインが高い作画力に支えられて画面を彩った。

画面レイアウトの変化も著しく、1期・2期を支えた少女アニメの文法は破棄され”ロング1発頭に放り込んで後はキャラの顔を追う”ディレクションは影を潜めた。リリアン女学園高等部校舎は徐々にその全貌を露にし、カメラはキャラクターの顔を追うだけの小道具ではなくなった。

この章ではついに新大陸への上陸を果たした3期OVAの中から、特にカメラワークに優れた第4話「レディ、GO!」を中心に、アニメ版「マリア様がみてる」が新たに選択したディレクションとその理由を考察する。

各論


ランドスケープ

先の章(参照:「エッシャーの箱庭」)で記した通り、アニメ版「マリア様がみてる」は背景の情報量を抑えるようレイアウトが切られ、校舎の立体的な構造や距離などを記述しないようにしてきた。私立リリアン女学園に”おとぎの国”の免状を与え、それにより「ごきげんよう」だの「お姉さま」だのと言った非日常的な単語が飛び交う環境を成立させようとしたのである。

しかし3期ではこれまで使い回されて来たシンボリックな背景を破棄し、奥行きと立体感のあるアングルからリリアン女学園高等部校舎を描き直した。

初めて描かれるアングルで新しい貌を見せるリリアン女学園高等部校内。特に1枚目の”上空から俯瞰した校舎”は「レディ、GO!」のファーストカットであり、これまでは校舎を正面から捉えた背景がそのポジションに鎮座していた。リリアン女学園高等部の教室が3棟に収容され、それぞれが平行に伸びている構造が把握出来る。

また、「レディ、GO!」に特に顕著なのが積極的にフレームを移動させている点である。体育祭というイベントをこなす関係上普段より躍動感のあるカメラワークが多々採用されているが、日常シーンにおいても画面を広く使い、より広がりのある空間を現出させている。背景を上下に2画面近く引き建物の存在感をアピールする手法は、これまでに採られていたディレクションとは正反対の物だ。

先の俯瞰のカット同様、地面から屋根まで1カットで見せる事で高等部校舎の全体像が把握出来る。本来はこれが順当な手段であり、3階建ての校舎の上2階部分だけを捉えたこれまでのカットが特殊だったとも言える。

しっかりと空間が描かれ、これまでバラバラに見せられていたパズルのピースが組みあがっていく。リリアンの校内が徐々に見渡せるようになって来る感覚は(たまたまだとは思うが)福沢祐巳の視野が小笠原祥子からリリアン全体に広がっていくこの時期の展開と相まって非常に晴れ晴れとしたものだ。

これまでは小笠原祥子を始めとする生徒会の面々に振り回されて右往左往していた祐巳が、その才能を発揮して校内を掌握していく段になって”リリアン女学園高等部”が霞の中に浮かぶ幻のような有様ではカタルシスも無い。3期画面レイアウトのおかげでリリアン女学園高等部は描き割りの舞台装置から、現実にコントロール可能な対象へと役割を変えたのである。

ボーン・アイデンティティ

リリアン女学園が”把握可能な対象物”になると同時に、登場人物たちにも確かな空間と肉体が与えられた。体操服から伸びた四肢は少女漫画のそれとはまるで異なり骨の凹凸、筋肉のしなりまで描かれた重量感のあるものだ。カメラをグッと寄せて遠近感を強調したり、フレームを傾がせたりするのは体育祭ならではカメラワークだが、そこで尻込みせずに登場人物たちの血肉を描き出し、清純な乙女の枠から引っ張り出す事はなかなか勇気がいる事である。

かつて”妹にしたい生徒NO.1”と言われた由乃の腕には尺骨の影が入れられ、祐巳のストライドは力強く、顔が見えないアングルが差し挟まれる事でより一層肉体の存在感が増す。祐巳の顔を正面から捉えたカットでは獲物を狙うような目が迫り、これまで見られなかったアグレッシブな一面が描かれる。

ストップモーションではあるがアイレベルを水平から傾けたカットは「望遠パース・正面・シンメトリー」の構図が多い本作においては珍しい。画面奥からグッと手前に伸ばした由乃の腕はキャラクターデザインのラインを大幅に逸脱しているが、ディテールが増えた事で被写体への寄りが自然に感じられる。
眉を吊り上げ正面をキッと睨んだ祐巳の顔が迫るカットは、それこそこれまでの「マリア様がみてる」に無いテイストである。横からのアングルを選択せず、視聴者に真っ向から視線をぶつけるこのディレクションが採られた土台には、福沢祐巳を巻き込まれ型の主人公から能動的な主人公に引き上げ、ローテーションで出たり引っ込んだりしていたポジションに終止符を打ち、視聴者に”彼女がこの物語の主人公である”と宣言する意志が窺える。

フリー・アングル

リリアンの見晴らしを良くし、キャラクター達に現実に即したリアリティを与えた方針転換に続き、最後に語るべき重要なディレクションの変化は”顔ばかりを追わなくなった”事だろう。セリフを喋っている人間の顔を追い続けるカメラワークは分かりやすいが単調である。「レディ、GO!」では全編に渡って配慮の行き届いた画面設計が見られるが、特に注目したいのはフォークダンスのシーン。カメラを真上に据えた時でも望遠パースに逃げないこだわりと、祐巳の顔を”追い続けない”事でリズミカルな画面を生み出した2カットは、制作側の高い技量と真摯さの現れである。

1枚目の画像はフォークダンスでくるりと回って次の人がパートナーになる部分だが、ほぼ真上から望遠ではない距離で人物が動く様を作画するのは相当難しい。相当難しいと言うか、このカットを目にした時は正直腰が抜けた。確かにくるりと廻って次の人間に移る行程を描くなら真上から描くのが一番分かりやすいとは言えるが、それを”微妙にパースが付く距離”で描くのは本当に難しいのだ。このアングルを選択した絵コンテも、その選択に応えた作画陣も見事と言う他無い。
2枚目以降は祐巳のモノローグが入るカットの連続ショットだが、見ての通り最初この画面に福沢祐巳は映っていない。大勢の人物が曲線に沿って並ぶ絵を描くだけでも大変なのに、それを踊らせながら最初画面の外にいた祐巳をくるっと廻るモーションで画面に入れて、また退場させるのである。最初からボーっと祐巳の顔を追うのではなく、カメラを振るでもなく、ダンスのモーションを利用して祥子の姿を追う祐巳の表情を印象的に切り取るこの画面設計もまた、絵コンテ・作画の両輪が高性能でないと成立しない。

キャラクターの表情だけ追えばセンシティブだがウェットな作品になり、そこを外し続ければアイロニカルになる。次から次へとキャラクターが登場し、祐巳と短い会話を交わしては消えていくこのシーンを漫然と描かずに様々な工夫でアクセントを付けた手腕は見事である。映像文法としては少女向けアニメと言うよりサンライズのロボットアニメに近くなっているが、福沢祐巳が”エース”になっていく3期のストーリーにおいてはそれも相応しい。登場人物たちの顔を適度に間引く事でフィルムの風通しが良くなり、人物と風景が等価に扱われるようになった事は4期において重要な意味を持ってくるのだが、今はとりあえず、その技量を褒め称える事に留めておく。

まとめ


1期・2期とは別の作品と言っていい。オープニングと声優こそこれまでの物を踏襲しているが、エンディングにはポップな歌物が宛てられ、キャラクターデザイン、画面レイアウト、カメラワーク、そして作画水準。何もかもが一新された。

勿論そこには予算や人員編成の違いがあるとは思うのだが、やはり根本にあるのは主題を福沢祐巳に任せられると制作陣が判断出来た事が大きいように思う(3期・4期で祐巳が控えにまわる回はただの1話も無い)。訳も分からず生徒会に引き込まれて次々と起こる事件に翻弄されていた頃ならいざ知らず、戦略的に振る舞い、対象をコントロールしていく物語においては少女漫画的ディレクションはそぐわないのである。(余談だが上記画像の人物部分を全部モビルスーツに置き換えて描いても何の違和感も無い事をここに記しておく)

福沢祐巳の能動性が鋭い眼光と共に描かれ、その才能が発揮される舞台の描写も、その行程を切り取るカメラワークも準備された。物語の転換点に相応しい大胆さをもってその準備が為された3期第4話のサブタイトルが「レディ、GO!」なのは出来すぎではないかと思う程である。

この布陣で挑む4期はさぞや見応えのある物になるだろう。その目論見は半分当たっていて半分間違っていて全部当たっていた。回によってコントロールを失う演出、尺の関係ですっ飛ばされる黄薔薇白薔薇のエピソード。何を思ったのか原作のモノローグを全部詰め込もうとする脚本など、4期のスリリングさは枚挙に暇が無い。見応えと見所と見てはいられないものが高速で繰り出されるのが4期である。

だが、それでも奇跡は起こった。

2009年2月7日。「予期せぬ客人」の来訪である。

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