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メモリアル・バゲット

作成年月日
2005年12月29日 23:59

どんな食べ物にも「一生の間に食べられる量」というのがある。そう断言したのはテヘランのホテルで同室になった日本人青年だった。

テヘランに入ったところで当時最高指導者のホメイニ師が亡くなった為に市内が騒然となり、とりあえず街中が元通りに落ち着くまでホテルに逗留する事に決めた。どのくらい日数がかかるのか予想がつかなかったので、そこで知り合った彼とルームシェアする事になったのだが、そのホテルで彼が語ったのが冒頭の言葉である。

自分より先にテヘランに入って足止めされていた彼は、ホテルの一室に閉じこもり、来る日も来る日もピスタチオ(あの辺りの名産らしい)を食べ続けていたそうだ。どの位の日数が経った頃か忘れたが彼が言うにはある瞬間、まさに一粒のピスタチオを口に入れた瞬間「あ、越えた」という感覚が走ったのだそうだ。

彼は一生の間に食べられるピスタチオの量をこの異国の地で食べ尽くしたのである。平易な言葉に置き換えれば「見るのもイヤになる位に食べ飽きた」と言う事だろうか。

そして、食べ物にまつわる似たような経験を後に自分もする事になる。2度目の渡仏時、ホームステイ先の老婦人宅で出される朝食はフランスパンと紅茶だけだった。一ヶ月の間勉強に全ての時間を費やす為に滞在費は全て日本で稼ぎ、滞在中は少ない資金でやりくりしなくてはならない為昼食も抜き、夕食はやはり帰りにパン屋で買ったフランスパン(これが一番安い)と場合によっては安いワインをつけて空腹を耐えていたのである。

つまり一ヶ月の間毎食フランスパン(だけ)を食べていたわけだ。帰国後フランスパンに見向きもしなくなった事を不思議に思う人はいないだろう。

それから十数年、自分で望んでフランスパンを買った記憶は無かったのだが先日、女房が作りすぎたボウル一杯のカスタードクリームを消化する為に近所のパン屋でフランスパンを買った。

パンの表面にナイフを入れると聞こえる「ガリガリ」という音も随分久しぶりだ。まだ温かいバゲットに自家製のカスタードクリームを塗ったおやつは当時の嫌な印象を拭い去るほど美味しかった。前歯の裏側の歯茎が傷だらけになって飲み物が染みる感覚も懐かしさが伴ってさほど苦にならない。

こんな事でもなければ確かめようも無かったが、どうやら最後の一本にはまだ届いていなかったようである。