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星を継ぐ者(ジャブロー降下作戦)

作成年月日
2005年11月05日 22:03

テレビ版のフィルムをベースに一部新作カットを使うという方針を採った際、「どこを新規に描き起こす」かが問題になるが、自身絵描きではない富野氏はドラスティックなルールを決めた。「話が繋がる部分はそのまま、繋がらない部分は描き起こし」というルールである。

例え主人公の顔がおかしかろうが、Mk-Uがカッコ悪かろうが、そのままのカットで話が通じるならばそのまま使う。しかし編集の結果前後の繋がりがおかしくなる場合は、なんであれ新規に描き起こす。そのおかげで前半は「ビームで吹っ飛ぶジム」とか「ティターンズの士官と話すカミーユの両親」とかどうしてコレを?と思うような、見た目の重要度の低いカットが美しくなっていて首を傾げたのだが、気が付いてみるとなるほどと思える戦略である。

しかしそうは言ってもせっかくの劇場版、美しい作画でMk-Uや百式が戦っている所を観たいと思うのも人情だ。コロニーを脱出した後の最初の戦闘ではカミーユの父親の死を前倒しにする為に、その関連カットが殆ど新規カットになっていて、なんだかカミーユの父親が物凄い使い手に見えてしまうという微笑ましい部分もあったのだが、そんな物を心待ちにしていた客はいないだろう。

しかしまぁ、待っていれば望みは叶う。30バンチ事件をパソコンのデータベースで済ませてしまったので、ガルバルディを駆るライラはジャブロー降下作戦に、その死に場所がずれ込んだのである。本来いなかった機体が出てくるのであるから、それはもう全部描き起こすしかないわけだ。

更に有り難い事に、カミーユはこの作戦に参加する事を心配する幼なじみに対して「ティターンズのやり方を知っちゃったら戦うしかないじゃないか」と言っている。成り行きでエゥーゴにやって来てドサクサに紛れて両親を殺された少年は、いつの間にか正義の為に戦う気構えが出来ていたのである。

これがテレビ版でうだうだぐちぐちと色々な理屈をつけては周りの人間と衝突を起こしていたカミーユと本当に同一人物なのかと思うくらいだが、一見唐突に見えるこのセリフも、途中の鬱陶しい部分をカットした事、両親の死から(フィルム上での)時間があまり経っていない事、前回触れた新規カットにより大人との関係が良好である事が作用してすんなり納得出来る。

このカミーユの覚悟の程が伝染したジャブロー降下作戦の高揚感はテレビ版の比ではない。新規作画もふんだんに使われ、百式が、リックディアスが、そして大事な事だが後ろを飛んでいる雑魚モビルスーツまでもが美しく舞い躍る中、ライラのガルバルディに左ミドルキックを入れるMk-Uのかっこ良さは失禁物である。

ライラを撃破しカクリコンを灼熱地獄に叩き落し、それでも戦闘は終わらない。富野監督が終わらせない。カミーユと周りの人間の関係を円滑に纏める事が出来て、彼はコンテ用紙の前で笑いが止まらない位に上機嫌だったのだろう。やるべき事を首尾よく終わらせてしまったので、ここから先は大サービス大会である。

続く