私は修羅場モノが大好きである。ここで言う修羅場とは、原稿の締め切りが明日の朝6時なのに真っ白なページがまだ12枚ある、とかそういう意味ではない。所謂色恋沙汰、二股三股が露見した時の罵り合い掴み合いとも少し違う。色恋沙汰に関するものではあるが、喧嘩や傷害・殺人事件のような刃傷沙汰を待つまでもなく、「どう収拾をつければいいのか分からない状態」が発生していればそれは修羅場である。
しかしだからと言って、「所謂ハーレムラブコメが修羅場モノってことか」と思われると少し困る。そのジャンルが修羅場モノになる可能性はあるが、二股三股になっていれば即修羅場モノという訳ではない。大事なのは解決の見通しがつかない状態である。まだ誰とも付き合っておらず、単に気になる異性が複数居るだけでは弱い。ハーレムラブコメにおいてはたいていの場合「誰を選ぶか」が決まってしまえば、文句を言ったり未練を断ち切れなかったりする者がいくらか居たとしても話はそこで終わりである。皆それぞれの立ち位置を受容し、未来に向けて歩き出すのだ。彼ら彼女らは、引き際を知っている。
真に輝く修羅場モノとは、登場人物も読者も一様に「これはどうしようもないぞ……」と頭を抱える物でなければならない。それを成立させる為には以下の要素が必要だ。
- 魅力的な登場人物
- 魅力的な登場人物というのは、そりゃあどんな物語にも必要だろうと言われるかも知れないが、こと修羅場モノにおいてそれは絶対である。登場人物に魅力がなければ「A子一択やんけ」とか「こんな主人公になんで惚れた」とか、そういうノイズが発生してしまうから。ヒロインに関してはどの子もそれぞれ素敵であり、主人公もなるほどこいつは沢山の女性に惚れられるのも納得であるなぁと思わせてくれないと修羅場モノにはならないのだ。誰かに決めることも、別れることも許容できない状態こそが修羅場である。
- 登場人物がある程度の参入コストを支払っている
- 昨日出会った人が気になったけど、調べたら彼女・彼氏が居た、という状態は微妙である。じゃあ他に行ったら?と思うし、それでゴネるような奴はちょっと距離を置きたいなと思うのが当然だろう。やはりある程度の付き合いが進んでおり、出来れば(必須ではないが)そこそこの肉体関係も取り交わされているのが望ましい。精神的にも、肉体的にも強く結びあってこそ、それを破棄できない状況に説得力が生まれる。ここまでして、ここまで来て今更別れるとかそれは許されんよなと、登場人物も読者も思わないと修羅場モノを成立させるのは難しい。
- 誠意がある
- 誠意があったらこんな事にはなってないんじゃないの?と思われるかもしれないが、誠意があってもそれをねじ伏せて来る状況こそが修羅場である。100人斬りがしたくて声をかけまくってるような奴は修羅場モノの主人公を名乗れない。そんな奴はその気になれば面倒な相手から順に切りまくっていくらでも収拾つけられるのだ。誠意はあるけど使えない、使いたくても許されない、そういう圧倒的な状況下で、もがき苦しむのが修羅場モノである。
以上、修羅場モノの概要を手短にまとめたがちゃんと伝わっているだろうか。修羅場モノはドラマの原理である二律背反を極限まで複合して積み上げたものである。惹かれているのに決められない、困っているのに突き放せない、好きなのに苦しめてしまう。一昔前のラブコメに対して、しばしば主人公が優柔不断だと評する向きがあるが、優柔不断だと思われた時点でそれは修羅場モノではない。優柔不断ではない人間が、それでもどうにも解決できない「状況の暴力」と、その中にあってなおどうにかしようと苦闘する善性の輝きこそが、修羅場モノの屋台骨なのである。
さて、前置きはこのくらいにして。え、前置き?今、前置きって言った?
言いました。ここからが本題です。
今もっとも熱い修羅場モノを紹介したいと思う。タイトルは「わたし、二番目の彼女でいいから。」

ここまでしつこく説いて来た修羅場モノの条件をこの作品は完璧に満たしている上に、驚嘆すべきはその持続期間である。巻数にして現在8巻、作中時間においては既に5年が経過している。後の巻のあらすじを見て、高校2年生だった主人公たちがいつの間にか大学生になっている事にも驚いたが、読み進めていく内にその遍歴にも驚いた。A子さんとB子さんの間で板挟みになっていた修羅場は途中完全に崩壊し、失意の主人公は逃げるように飛び込んだ新天地でC子さんD子さんとまた修羅場に陥っていたのである。それでは同じことの繰り返しになってつまらんのじゃないかと心配したが、この修羅場モノは一味違う。そこにA子さんとB子さんも参戦して来たのだ。
ハラショー。ポッと出のC子さんD子さんではこれまでの修羅場のテンションまで持っていけないんじゃないかと思っていたがこの二人も十分魅力的であった。なるほどこれなら行けそうだと安心した矢先にまさかの追加注文。え、僕これ頼んでませんけどいいんですか?みたいな修羅場のおもてなしである。
苦しみながらもエロいことはしっかり(しかも毎回趣向を凝らして)やって、過去の文豪に墓石でぶん殴られそうな引用で笑いを取ったり、作中唯一常識的な物差しで主人公たちの奇行に大声でツッコミを入れる後輩でガス抜きをしつつ、なんやかんやで修羅場は熟成されてくる。一度壊滅的な修羅場の終焉を迎えた主人公も、そこから立ち直りC子さんD子さんとはちゃんと別れることが出来た。後は最終巻である9巻でA子さんB子さんと決着をつけるだけである。ここまで、5年。主人公たちが成長し、色々な考え方を吸収し、大人に近づくことで光明が見えた。
もしかすると世の修羅場モノの大半は急ぎ過ぎていたのかも知れない。状況は苛烈で、精神は摩耗する一方。誰も彼もが出口が見えないまま限界を迎えて目先の決断に手を出してしまう。それでも結局時間が経てば、その決断を受け入れることは多い。先にするか後にするかが違うだけで、修羅場を克服する時間も結果も、最終的には同じなのかも知れない。
けれども私は、見届けたいのである。自身が生み、育み、寄り添って来た修羅場を、成長した自身の力でもって真正面から調伏するラストシーンを見たいのだ。それはかつて私自身がどうしても出来なかった事に対する憧憬と言い換えてもいい。わたしはこの解を持ち合わせていないので、最終巻で彼らがどう解決するのか予測も出来ない。だから、見たい。見せて欲しい。
最初に「私は修羅場モノが大好きである」と書いたが、正確には少し違う。私は、私とは違うやり方でも修羅場の先にある幸福に辿り着けるのか、それを知りたいのだ。