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才能に名前をつけよう

作成年月日
2026年01月16日 22:39

才能。あるね?あるある。世の中には「あ、こいつ才能あるわ」って思わせる人間は居る。それは、物書きだったり絵描きだったり或いはスポーツや音楽をやっていれば常に付きまとう概念。それは、時に必須の物だと神格化されたり、或いは才能だけではダメで努力がセットでないと意味がないと言われたり、更にその努力出来ることだって才能だと言われてもう何が何だか分からなくなったり。

私自身は才能に恵まれなかったので、そこは努力や知識や根性でどうにか補おうと生きてきた人間ではあるのだけど、近頃はこの才能論争の仕舞い方にある程度の見当がついたので、メモ代わりにここに書き記しておこうと思う。きっかけは「2048」というゲームである。

「2048」はまぁまぁの知名度があるゲームだ。シンプルな操作と極小のルール、誰にでも分かるユニバーサルデザインに加え、長く連なった数字の列が連続で加算されていく瞬間の達成感もあり、ハマるとついつい時間が空いた時に起動してしまうくらいの中毒性も持ち合わせている。しかもこのゲーム、最高スコアの上限は仕様により明確に決まっているのだが、そこに到達するためには約12万回のスワイプが必要(grokによる試算)なので、相当の暇人でないとカンストまで持っていけない。私自身、時間が空いた時にチマチマとプレイしているのだが、未だ一度もカンストまでは行けていない。

しかしまぁ、それでも長くやっていれば「気を付けなければいけない盤面」というのは分かってくるので毎度そこそこのスコアは出るのである。Undo機能が実装された2048は運頼みの要素がほぼほぼゼロになり、必要なのは慎重さだけとなった。調子に乗ってうっかりスワイプミスをしない、低い確率で出現する「4」のタイルをおかしな位置にはたかない、何より、まずいと思った瞬間にUndoに指を伸ばせる慎重さ。これだけである。やればやるほど身に染みる、気を付けなくてはいけない、調子に乗ってはいけない、ここでミスると挽回は大変だ。2048に必要なのは才能ではなく慎重さだ、と私は断言できる。

けれど、ふと思う。まだこのゲームをあまりプレイしていない人、私のスコアを見てびっくりしてしまうような人、2048に必要なのは慎重さだと思っていない人、そういう人から見たら、わたしは「2048の才能がある人」に見えてしまうのでは?

この感覚はけっこうな衝撃だった。重ねて言うが私のスコアは大したことないのである。そして2048に必要なのは慎重さだけなのである。にもかかわらず、それをそう認知してない人から見たら、もしかすると私は「2048の才能がある人」と思われてしまうかも知れないのだ。そう思い当たった時、私が「この人、才能あるなぁ」と思った瞬間もこれと同じことが起きてるだけなのだなと腑に落ちたのである。

誰かから見て「才能」に見える物は、実際先天的に賜った素質なのかも知れないが、先天的であれ後天的であれ、本人の中では「才能」などというぼんやりした名前では呼ばれていない。サッカーの上手い選手が難しいボールが来た時に「よし、才能でなんとかしよう」とは思わない。彼ら彼女らが持っているストロングポイントには、「空間把握能力が高い」とか「スプリント能力がずば抜けてる」とか「身体のバランス感覚がいい」とか、そういった別の名前がついている筈である。そして、「才能」は生まれ直しでもしない限り手に入らないが、「空間把握能力」や「スプリント能力」や「身体のバランス感覚」は、ある程度後天的に鍛えることが出来るかも知れない。

才能は、最初からあったら楽でいいなぁと妬むことは出来るかも知れないが、それだけの話である。もし、あなたが何某かの才能の多寡を気にせざるを得ない活動をしているのであれば、うわぁこの人凄いなぁ、才能あるなぁと思った時、その人の何が凄いのかを言語化し、それを獲得する為にはどうすればいいのか検討し、後はそれを鍛えに鍛えて欲しい。

その才能の正体を見誤ったり、練習方法を間違えたりすることも高確率であるとは思うし、何をどうやってもその才能は後天的に獲得できない物だったりするかも知れない。けれど、そうやって色んな才能の「才能」という名前を剥ぎ取って、つけた名前を獲得する為に様々な修練を積んで行けば、きっといつか、誰かに言われると思うのだ。

「やぁ、あなた才能ありますね」と。

その時には、少しキョトンとして、その後「あ、これか」とこの記事のことを思い出してくれたら、私も少しいい気分になれるので、どうか頑張っていただきたい。

最初から備わっている物より、後から獲得できる物の数の方が絶対多い。