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間違った英語の話をしよう

作成年月日
2016年06月15日 16:30

こう書くと、「む、日本で教えられている英語のおかしな所を指摘するのだな?」と思われるかも知れないがそれは違う。そんな知識は私にはない。「私が」「間違った英語の話を」「する」のだ。正確に書くなら「これから時々英語に関する記事を書くけどそれらは全て間違っている」という意味である。

なぜまたそんな酔狂な事をと思われるかも知れないが、色々あって今英語を勉強しているのだ。一応中学高校で英語は習ったし、外国を廻ってる時はブロークン・イングリッシュでなんとか1年間意志の疎通を計れたという実績もあるが、正直英語はさっぱりである。なので、色んな本を読み、単語を覚え、ネット上の講義を聴き、文法の事をあれこれ考えているのだが、未だに根本的なところがさっぱり掴めない。

それは、普通に英語を勉強するなら素直に受け入れておけ、みたいな事柄なのかも知れないが、そういう物がどうしても気になる性質なのが私であるから、なんとかスッキリしたいと強く思うのだ。これはこういう意味なんですよ、と言われて「はい、そうですか」と受容できるほど素直にはなれなかった人間なのである。

そういう訳で、日々の学習の中で「なんでやねん」と思った事と、それをどう解釈したらスッキリするだろうかという疑似回答を書きつけて行こうと思う。けれど、インターネットが恐ろしいのは「こんな辺鄙なサイトでも、マッチング度の高いワードで検索したらヒットして訪れる人が出るかも知れない」という所だ。なので、最初にしっかりと書いておく。

このサイトにある英語の記事に正しいものなんかひとつもない。

「分かる=出来る」なので、出来ない(話せない)私は英語が「分かっていない」。どれだけ難しそうなことが書かれていても、どれだけ断定口調で書かれていても、素人の言う事は必ず間違っているものだ。途中の例文ですら間違っている可能性が高い。なのに何故そんな事を考えたり書いたりするのかと言えば、そうしないと今、私が、私の分かる範囲で英語を運用することが出来ないからだ。

学習の過程において最初から「真髄」に到達したり、或いはそれを運よく教授してくれる人に出会うことは稀で、それでも何とかしたければ「当座の間のルール」を設定しなければならない。実際のとこ、本当の本当はどうなのかはまだ分からない・理解出来ないけど、分かるまで待ってたら何も出来ないので、「今」はこう考えておこう、という話である。

したがって、これから書く事は「私が」「今の私の為に」「読んだり考えたりうっかり騙されたりして得た当座の結論」である。いずれそれではカバー出来ない、解釈に矛盾が生じる、運用に齟齬を来たす局面に遭ったらまたアップデートされることは前提なので、ここに間違いを記す事になんの躊躇もないのだが、うっかりこれを読んで「あ、なるほど?」と思う人が絶対に出ないとも限らないので、ここに一応念を押しておこうと思った次第である。

「じゃあ、それはネットに上げずにチラシの裏に書いておけば?」と思われるかも知れないが、ここにはちょっと打算というか希望があって、つまり私が疑問に思う事、ニュアンスが掴めない事、おかしな理屈で咀嚼しようとしてしまう事柄は、おそらく「そんなに突飛なものではないだろう」という予感というか確信がある。普通は気にも留めないかも知れないが、ここで躓く人間はきっと他にもいる。

だから、これらの記事は「英語を学ぼうとしている人」「学んでいる人」にはまったく役に立たないどころか有害であるかも知れないが、「英語を教える人」にとっては、そしてその人から直接・間接的に「英語を学ぶ人」にとっては何か有用なものになる気がするのだ。

と呆れた後、真に理解に到達している人ならば、きっと「どう言ってあげれば、どういう事をさせればそこに引っかからずに進めるようになるのかな」という事を、思いついてくれる筈である。(そういう物は既にちゃんとあって、単に私がそれを知らないまま来ているだけかも知れないが)。

私は私を助けられないので、これはつまりSOSという意味合いもあるのだ。その解決法が私のところに首尾よく巡って来ることまでは期待していないけれど、なるほど、素人というのは何でもない所でつまずいてしまうのだなぁと改めて思ってもらい、その轍を踏ませない為にどういう手段を重ねればいいかを考えるきっかけになってくれれば、恥を晒す甲斐もあるかな?と思うのである。