unlimited blue text archive

トレパク騒動に終止符を

作成年月日
2012年11月02日 11:00

今日もネット上では”漫画家の誰それがトレパクしたのがバレて炎上”だの”重ねた画像の線が完全に一致www”だのと言った文章が踊り、多くのクリエーターと出版社、そしてその論争に巻き込まれた部外者が途方もなく筋違いな被害を受けている。

言うまでもなく著作権は保護されるべきだが、著作権の侵害は「無断トレス=違法」といった、幼稚なロジックで判断されるような物ではない。この文書では、”何が著作権の侵害に当たるのか、当たらないのか”を明らかにした上で、現在ネットで猛威を奮っている「トレパク検証」の欺瞞と、著作権保護にかかる正当な議論の形を提示する。

文意を明確にする為に、以後敢えて断定的な記述を用いるが、本来著作権の侵害に当たるかどうかは裁判で途方もない量の検討をされて初めて確定する事であり、同じ訴訟においても原審の判決が控訴審で覆った例も多く、この文書で「著作権の侵害に当たる/当たらない」と書かれた事例が、いつ、いかなる時でもその結果を保証する訳ではない事は明らかである。逆に、もしこの物言いに不安を感じる人であれば、現在のトレパク検証界隈が短絡的に人を犯罪者呼ばわりしている事に対しても公正な視点を持ち得ると思うので、その感覚を大事にしていただきたいと思う。

この文書を書くに当たり信頼できる友人の助言を得たが、もしこの中に事実と反する内容が記述されていた場合、その責は全て私にある事をここにお断りしておく。

著作権法はトレスと模写を区別しない

トレパク検証界隈では頻繁に「無断でトレス/模写したらアウト」或いは「トレスはアウト、模写はセーフ」といった妄言が飛び出すが、これはどちらも間違っている。恐らく「重ねた時の線の一致度が高ければ、元画像に依拠して描いた事は明白だ」とか「模写はまだ技術的に高度なので許される」といった論理を飛躍させて出た言葉だと思われるが、著作権法が守ろうとしているのは原著作者の「利益注1)」であり「絵を描く時の手段・過程」は問題にされない。著作権法のどこをひっくり返しても「他人の写真や絵をトレス・模写してはいけない」とは書かれていない。

考えてみれば当たり前の話で、そもそも何故「複製権」やそれに連なる権利がその著作者だけに認められているのかと言うと、その著作物で得られる筈の利益を「他人が真似して作った同一・またはそっくりな物が奪う」可能性が有るからである(海賊版DVDなどを想起すればその被害は容易に想像出来る)。

著作権が侵害されたかどうかを判断するに当たっては様々な要素が検討されるが、そこで問題になるのは ”何に似たか・どこが似たか・どの位似たか・どの位似ていないか”という「結果」である。原著作物がもたらす利益を奪う可能性は「どう描いたか」に左右されない(注2)。

誰がやっても”そうなるであろう”物は保護されない

googleの画像検索で、「100円玉」と入力してみると、この文章を打っている時点で約4,110,000 件ヒットする。だいたいが100円玉を真上から撮影した写真だが、例えばこの中のどれかの画像の製作者が、他の画像の製作者に対し「お前が撮った100円玉の写真は私の撮った写真とそっくりである。著作権を侵害しているので損害賠償を申し立てる」と言った場合、果たしてその主張は通るだろうか。

著作権の侵害は”偶然の一致”の場合、違法性は阻却されるが、これが仮にわざとだったとしても、この主張は通らない。100円玉を撮影しようと思えば元々選択の幅はごくごく狭く、誰がやっても似たような結果(不可避の表現・ありふれた表現)になるので、そんな物に独占的な権利を与えてしまうと今後誰かが100円玉を撮影しようと思った時に困ってしまうからだ。

著作権法は何でもかんでも保護したりはしない。例えば「平成17年(ネ)第10094号請負代金請求控訴事件」の判決文では、そこで検討された広告販売用の商品画像に最低限程度の著作物性があると認めつつ、その創作性は極めて低いとし

創作性が微少な場合には,当該写真をそのままコピーして利用したような場合にほぼ限定して複製権侵害を肯定するにとどめるべきものである。

との見解を示している。(この裁判では被告が”そのままコピー”していた為、複製権の侵害が認められた。)

お金であれ、建築物であれ、動物・人間・自然の風景であれ、それを撮影・描画する時に”この角度から見れば自然にこういう画像になるよね”という物は高度な創作性を認められず、そのような部分を模倣しても、著作権の侵害には当たらない。これは、著作権法が著作者の利益を守る事と同じ位、著作者の権利を肥大化させないように熟慮されて運用されているという事を示している。

創作性の検討は、著作物全体だけでなく、それを構成する要素一つ一つに対しても行われる。モナリザの絵は高い創作性を持っているが、その構図自体に特段の創作性はなく、画面の中央に人物のバストショットを配した絵を描いたとしても著作権の侵害に問われる事は(勿論既に著作権は消滅しているのだが)無いし、モナリザの爪の形を自分の描いた絵の人物画の指先にトレスしても罪には問われないのである。

創作的に表現された物とは何なのか

創作性とは何か。それは「著作物とは何か」という定義に関係する。著作権法では著作物を

思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの

と定義している(2条1項1号)。

「思想又は感情」を創作的に表現したものが著作物である。100円玉が丸いのも、木ネジに螺旋の切り込みが入れられているのも、Xboxのコントローラーが大きいのも全て、あなたの思想・感情を表現する為にそうなっている訳ではない。そうなっている物をその通りに描くのは技術の要る事だが、それがそうなっているのはあなたの工夫による物ではないので、そこに創作性は認められない。何が「創作的に為された表現」に当たるのかは、以下の喩え話でそのニュアンスが掴めるかも知れない。

例えば「金の延べ棒がポンと置かれた」画像をトレースなり模写なりしたとして、それが問題になるかっていうと俺は問題にならないと思う訳です。その元画像の構図に創作的表現を認め、それを保護しようとすると似たようなアングルから金の延べ棒を撮影する事は今後出来なくなるわけで。

同様に「注射器がポンと置かれた」画像をトレースなり模写しても問題にはならないと思う訳です。よっぽど奇矯な置き方をしてなければ誰が撮っても同じアングルになる可能性はあるし、実際かなり似たアングルの物は世の中にごまんと発生している。それが問題になるようでは裁判所も困る訳です。

けど、「金の延べ棒を円形に並べてその中心に注射器を置いた絵か写真」というのがあったとして、それを丸ごとトレス/模写したら、まぁ、危ないよね、と思う訳です。実際に裁判でどうなるかは分かりませんが、俺は多分それアウトだろうなぁ、と。

金の延べ棒や注射器を当たり前のアングルから描いたフォルムには「創作性」は無い。しかし「金の延べ棒を円形に並べてその中心に注射器を置いた」工夫には、製作者の思想や感情が見て取れる。沢山の金の延べ棒と注射器を何度もぶちまけてその結果の中からランダムで選んだ配置では無い、「訴えたい物を伝える為に自らが”そうであれ”と選択した意志」が”表現”されている。おそらく、これが創作性である。

”創作性”の検討がどの様に為されるのかについては、例えば「京都祇園祭写真の著作権等侵害事件」、或いは、「‘独り暮らしをする若い女性’のイラスト複製翻案事件」の判決文に詳しい。この裁判の中で検討された”原著作物の何が創作性に当たるか、原著作物に依拠して描かれた物はその本質的特徴を模倣したのか”という部分は、芸術の本質という「感覚的な判断で済ませてしまいそうな物」をいかにして評価するか、創作者のどのような”工夫”がその効果を生み出しているのかという難題に対してのあくなき記述が圧巻である。

原著作物と、それに依拠して製作された別の作品の本質を検討する為に、芸術とは真逆の位置に居る法曹界がこれほどの労力を割いてくれている事に私は感動を覚える。一方漫画好きを公言する者、絵描きを自称する者が著作物性の有無も、創作性の検討もせず画像を重ねて線が一致するかどうかで著作権侵害であるとミスリードしている現状に対して、同じ位の絶望を覚えるのである。

”許可を取っていなければ違法”の嘘

トレス/模写の際にその元画像の製作者に許可を得ているかどうかは、それを怠った事を以って違法であると決定付けない事は明らかである。既存の著作物に依拠して製作された物が著作権の侵害に当たるかどうかは「著作物性」や「創作性」を厳密に審査し、既存の著作物とこれに依拠して創作された著作物との同一性を有する部分が、著作権法による保護の対象となる思想又は感情を創作的に表現したものであるかどうか(注3)を検討した上で判断される。そこで著作権の侵害に当たらない、と判断されるのであれば、その行為を原著作者に許してもらう必要はない。先の「‘独り暮らしをする若い女性’のイラスト複製翻案事件」では、原著作者に無断でイラストを模倣したイラストレーターがその事を謝罪しに赴いたにも関わらず、その後に開かれた裁判で「当該作品は原著作者の著作権を侵害していない」と認められた程である。

ある創作物に依拠して何かを創作した場合、それが著作権の侵害に当たるかどうかは「裁判で検討され判決が下されるまで」は確定しない。本人が”元画像の本質的な特徴を残していない”と信じていても裁判所が著作権の侵害だと認める事は大いに有り得るし、その逆もまた同様である。裁判によってでしかこれを判断出来ないので”他人の創作物に依拠して何かを創作する行為”は、それを行った時点では常に「グレー」であるが、それは「著作権の侵害に当たるかどうかこの時点では分からない」という不確定性を指しての「グレー」であり、決して「訴えられてないから犯罪になっていないだけ」という意味での「グレー」ではない。

勿論、無用な争いを避ける為に、事前に原著作者の許諾を得るのは意義のある事である。しかし「許可を得ればその取り決めの範囲内で一時的に著作権を融通して貰える」からと言って、「許可を得ていなければ著作権の侵害に当たる」訳ではない。単に「著作権を侵害したとして訴えられる可能性がある」だけであり、それが本当に著作権の侵害に当たるかどうかは裁判所にしか決められないのである。

”検証画像”の検証

この章では『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』というページをサンプルに、ここに挙げられた検証画像が実際に著作権の侵害に相当するのかどうかを検証する。ここで糾弾されている画像が実際に東山翔氏の手に拠る物かどうかは未確認だが、作者が誰であれ元画像との類似性の検証には支障を来たさないので、そのまま「東山翔氏が描いた」物として扱い、また、著作権侵害に当たらない”偶然の一致”という可能性もここでは考慮せず、全て元画像に依拠して制作された物と仮定する。

1例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9v9f0c

著作権の侵害に当たるとは思われない。元画像との類似点は人物の大まかな配置だけであり、その配置はこれと言って独自性のある物ではなく、もし人物が二人身を寄せ合っているこの構図が、元画像の”特徴的な表現”として認められるなら、この画像より前に撮られたこれと似たような人物配置の著作を持つ人から、この人自身がまた訴えられてしまう。原著作物に依拠して描かれていても、これが原作品における表現形式上の本質的な特徴自体を直接感得させないのであれば別の著作物として扱われ、著作権の侵害を構成しない。

2例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udn6w

著作権の侵害に当たると思われる。元画像が表現している物を、元画像が用いた手段で再構成している事に疑う余地はなく、水中で体を浮かせたまま抱えてキスをするという設定自体が特徴的である上に、体の組み方、水の表現など、それを表現する為の手段に至るまで元の画像の創作的な表現を残しており、”既存の著作物の修正増減に創作性が認められるが、原著作物の表現形式の本質的な特徴が失われるに至っていない”ケースと判断されるのが妥当である。

3例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udmx2

著作権の侵害に当たるとは思われない。元画像との類似点は眼鏡を持った手の形だけであり、それは誰が眼鏡を持ったとしても容易にこの形になるという事由から、その部分に著作物性は認められない。表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には複製にも翻案にも当たらず、眼鏡を持った手の形だけが共通するこの検証画像は検討するに値しない例だと言える。

4例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udmw7

著作権の侵害に当たるとは思われない。元画像が用いた”海をバックに、男女が繋いでいると思われる手のアップ”には確かに著作者の思想・感情が表現されていると認められるが、前の例と同様”つないだ手の形”は誰が撮っても容易に同じ形になるのでその部分に著作物性は認められず、これを以って著作権の侵害を認めるようでは今後元画像の著作権者の許諾なしに「つないだ手」を撮影/描写する事は不可能になってしまう。

5例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udmvs

著作権の侵害に当たるとは思われない。元画像の”泡のお風呂で人物がはしゃいでいる”というシチュエーションはありふれたものであり、そこで取られたポーズや髪型も通常考慮されるレベル内に収まる物である為、これらがこの作品の特徴的な創作性であると認めるには至らない。

6例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udn91

著作権の侵害に当たるとは思われない。壁際で人物二人がキスしようとしている場面をこのアングルから撮れば容易に似たような物が出来上がる事は明白であり、人物のポーズ(腰に回した手と肩に置いた手)も、通常考慮されるレベルの範囲内で有る為、これらが類似していたとしてもそれを以って著作権の侵害と認める事はない。

7例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udna9

どちらとも言えない。普通に考えれば6例目同様、元画像に描かれたシチュエーションやポーズに通常考慮される範囲以上の創作性はないと判断され得るが、繋いだ手からレンズに向かって伸びた肘が作るラインがそのまま枕の稜線に繋がる所や、両者の顔を繋ぐように配置された向こう側の腕など、”レイアウトが決まり過ぎていて”その部分に特徴的な創作性が認められれば、それをそのまま模倣し、同じ感情を表現したこの絵は著作権を侵害していると判断され得る。これに関しては裁判をしてみないと分からない。

8例目
出典:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』よりhttp://twitpic.com/9udnjb

言うまでもなく著作権の侵害に当たるとは思われない。これを俎上に乗せること自体、時間の無駄である。

トレパク騒動が告発している物

先の検討は著作権法に記述された内容とこれまでの判例に照らし合わせて検討しただけの私見であり、実際に裁判になった場合どのような判決が下されるかは分からない。

結果的にここに挙げられた8例の内、著作権侵害に当たると思われる物が1例、どうなるか分からない物が1例、著作権侵害に当たるとは思われない物が6例となったが、これを他の人が検討した場合、その結果は容易に変わり得るし、個人に拠ってそれを即座に決定出来ないからこそ裁判で慎重に審議されるのである。

ではここで、他の人がこれらの検証画像をどの様に検討したかを見てみると、この文章を作成している時点での話だが誰もこの検討をしていない(参照:『【盗作】トレパク疑惑の東山翔先生の百合漫画「prism」休載の知らせに対する反応』)。それも当然の事で、そもそもトレパク検証は著作権を侵害しているかどうかを検証しているのではなく「トレスしたかどうか」を検証しているだけなのである。という事は、これは「法律違反を咎めている訳では無く、絵描きの仕事方法を非難しているだけ」なのかと言うとそれも違う。発端は「トレスしている」という話だが、それがいつの間にか、勘違いや恣意的な誘導によって、さも「著作権を侵害したかのように」すり替えられている。

トレス・・・どこまでがラインなんだよ・・・故意でも故意じゃなくもやっぱアウトなのか・・・
故意でない(偶然の一致)の場合、著作権の侵害の罪には問われない。故意だったとしてもそれが即ち著作権の侵害に当たる訳ではない。
トレス発見して何が得するんだよ・・・・
著作権侵害に当たる行為を告発する事は著作者の利益を守る点で有用である。著作権の侵害に当たるかどうかを検証せずに”盗用・盗作”果ては犯罪者扱いする事は、有害以上の行為だと思われる。
パクリだとかどうでもいいんだよなぁー。内容が面白ければいいのに…。叩く人、かわいそう。
著作権を侵害していると認められる場合は内容が面白いかどうかに関わらず「どうでもよくない」。侵害していないのであればそれを非難される筋合いは勿論無い。
元の画像があって無許可で複製したのがバレればアウトなんすよ。 他のやつもやってるとか、模写だからとか、これがアウトなら同人もアウトだとか、叩いてる奴が嫉妬してるだけとか一切関係ないんすよ。
無許可ならアウトという訳でもないし、ここで検証されている物は複製に遠く及ばない。
写真の著作権者に使用許諾を取らずに、トレスした時点で違法です。
違法であるかどうかはトレスした時点では未確定で、裁判所の審議によって初めて決定される。
「許可を取った絵を参考にして絵を描くのはOK」「許可をとって無い写真を参考にして絵を描いたらアウト」
同上。
参考でも模写でもトレスでも駄目な重なり方をしたら駄目なんです。参考というなら、せめて別アングルからの絵に書き換えればよかったんです。
表現上の本質的な特徴を直接感得され得るかどうかを「重なり方」が決定したりはしない。
ですから、「トレース」ですよね。 今回の件は「トレースではない」んですよ。 そこを履き違えている人が多すぎる。 「トレース」と認定しているのはあくまでネットのゴミクズであって、それを根拠に東山氏が違法行為をしているというのは暴論以外なにものでもありません。
トレースだから違法行為をしているというのは確かに暴論だが、トレースか模写かは関係ない。
本人が模写だと言ってもトレスだと判断されたら裁判では負けます。先のコメントで指摘した水中の二人が床に落とす影等を指摘されたら模写だと言い逃れするのは厳しいかと。他にも色々あるけど、ココが一番判りやすい。
トレスか模写かで裁判の行方は決定しない。

上記コメント群は全てネット上で見かけた文章だが、これらは決して”稀な”物ではない。言葉の端々は違えど「無断トレスは全て違法」と主張する人と、「だからどうなの」「他の人もやってるじゃん」と言った言動でこの誤解を積極的に敷衍している人は多い。

法を以って断罪するのであれば、まず、その行為が法に触れるかどうかを検証するべきであり、それを弁護しようと思うのであればこれもまた法に照らして正しくその作品を評価するべきだ。トレパク検証界隈で行われているやり取りは法に照らさずに法を用いて非難する人と、法に照らさずに法を退けようとする人の殴り合いに他ならず、これはただの騒乱であって、告発でも議論でもない。

まとめ

著作権の侵害は言うまでもなく犯罪であり、著作者が自分の著作物が不正に利用されていないかどうかを調べる為にこの世の全ての作品に目を通すのは事実上不可能であるから、第三者がそれを告発する事は社会正義に適う行為だと言える。

だが一方「人の画像を無断でトレス/模写したら即違法」という間違った法解釈がまかり通るのは、これは社会にとって好ましくない。正当な行為を不正呼ばわりされて名誉を傷つけられ仕事を失う事が「正義の結果」である訳がない。

”トレス検証”自体は非難される事ではなく「この人はこのコマを、この画像を使って描いたのだろう」と推理・発表する事は創作物に対する研究として認められるべきである。しかし「無断トレス=即、違法」でない事はここまでの文書で繰り返してきた通りなので、それを「パクリ」「盗用・盗作」などと、不正行為のように喧伝する事は事実に即していない。もし「告発」をしたいのであれば、真に”著作権を侵害していると思う画像”だけをアップし、その根拠を添えるべきだ。

ある作品に創作性が認められる時、そこには創作者が頭を悩ませ、あるいは閃きに導かれ、何だか分からないまま「こうあるべきだ、こうあって欲しい」と積み上げた過程がある。人々に自分の意志を、感性を、或いは娯楽を橋渡しする為に積み上げた物の上に淡く揺らぐ”何だか分からないがグッとくる”物が、創作の結果である。それは、輪郭線の位置が重なるかどうかで揺らぐような単純な物では決してない筈だ。

このような無責任な乱痴気騒ぎが一つでも減り、より公正な道筋で法と創作者が守られるようになることを、心から望む。

注1
原著作者の利益は著作者人格権に関わる利益と、財産的な利益の双方に渡るが、ここではそれを区別しない。著作者人格権の侵害に対しても、トレスされた場合と模写された場合で原著作者の損害が増減するとは思われない。
注2
トレパク界隈では線を重ねて”トレスしなければここまで似ない”という発言が頻出するが、目の悪い絵描きでも元画像と新規キャンバスに細かくグリッドを引き、1対1対応で線を模写して行けば同じアウトラインは引けるし、目のいい絵描きならそれすらも必要ない。見て描かれたか、上からなぞられたかは、原著作者の損害には何の関係もない。
注3
言うまでも無く本稿で取り上げているのは「著作権法」に限った話であり、著作権の侵害が認められなくてもその他の法律(不当競争防止法等)を犯していると判断される可能性はある。