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魔球・プリキュアオールスターズDX

作成年月日
2009年03月24日 23:45

いやーびっくりした。WBCの優勝にも驚いたが何にビックリしたって今日娘を連れて観て来た「映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!」が面白かった事にびっくりしているのである。

東映アニメーションのドル箱シリーズで主役を務めてきた歴代プリキュアたちが今度の劇場版で全員集合するという話を聞いた時は「どうやって……」と思ったのものだ。第1作の「ふたりはプリキュア」〜「ふたりはプリキュア Max Heart」が終わった後、主人公を変えてシリーズが続くと聞いた時には随分ときめいた物だが、その期待は見事に裏切られた。この時期待したのは「前作との関連性」である。

新しい主人公が新しいプリキュアとなって新たな敵との戦いに巻き込まれて行くという事は、その時には第1作の主人公、美墨なぎさと雪城ほのかはお役御免になっているという事だ。何故別の人間を選び直さなければならなかったのか、第1作から何年後の設定なのか、ふたりは何歳になって、今何をしているのか。更にそのふたりが、新しい主人公達の前に姿を見せる事はあるのか。そういうウルトラマンシリーズ的な連続性を期待していたのである。

ところが、第1話が始まってみると何という事だろう。全くの無関係!新主人公たちにプリキュアのパワーを授けるマスコットも全くの別マスコット!。ここは一体どこでいつなのよ!とそれはもう派手に突っ込んだものである。この「ふたりはプリキュア Splash Star」は後半おいしい敵キャラが出て来て存分に萌えさせて貰ったのだが、そこの不満は残ったのである。

確かに連続した時間軸で新しい主人公を立てるのは難しい。「機動戦士ガンダムSEED Destiny」の主人公が第一作の「機動戦士ガンダムSEED」のメインキャラに食われまくって、最終的に敗北を喫して終わってしまうという憂き目に合ってしまった様に、古参のキャラクターというのは既に支持されているというアドバンテージを振りかざして、ついつい新主人公を日陰に追いやってしまうものである。過去の人気に頼らずに、新しいキャラクターだけで勝負しようとした東映の判断は別に間違いではないのだろう。しかし”プリキュア”というのは世界の危機に立ち現れる伝説の戦士の名前の筈で、その力が前作と何の関係もないマスコットによってもたらされる事に納得がいく説明は無かったのである。

更に翌年からは「Yes! プリキュア5」〜「Yes! プリキュア5Go Go!」がまたもや何の関連性もないまま新しいキャラクターで始まってしまい、これはもうこういう物だと割り切るしかないのだな、と観念した。女の子の成長は止められない。大きくなっていく女の子を引き止めるより、新たに生まれてきた女の子を取り込む事に専念する。そういう戦略を選択したという事なのだな、と納得したのである。

それがここに来て「歴代プリキュア全員集合」って、ここまで全く関連性を持たせずにやって来ておいて今更一体どうやってそこの整合性をとる気なのだ。そりゃあこういう企画は問答無用でワクワクするし、「雪空のともだち」でも触れたようにプリキュアの劇場版には良い思い出もある。ここ最近は女房に任せていたが、そういう事なら今回は娘を連れて行く役を引き受けても良いか、と大して期待せずに劇場に向かったのである。

しかしあぁ、何という事だろう。開始早々現役主人公の桃園ラブに道を訊かれた前作主人公の夢原のぞみがスクリーンに映った瞬間どうしようもなく目頭が熱くなってしまうのは何故なのだ。易い。容易いにも程があるんじゃないか、俺の涙腺。こんな、何の説明もなくつらっと同一世界にこの二人を出して来る様な狼藉に何故陥落してしまうのだ。

己の不甲斐なさを呪う間にもスクリーンには歴代の主人公たちが次々と現れ、その懐かしさにやられ続けていると驚愕のシーンが始まった。

歴代マスコット全員会議。

なんと、こいつらは裏で繋がっていたのである。うへぇ。しかも各陣営が”プリキュア”を擁している(いた)事を他の連中には話していないのである。びっくりだよ!

たしかにテレビシリーズや劇場版で、様々なぬいぐるみ達が自国の存亡の危機をプリキュアたちに訴えて来ていたので、そういう可能性もあるかとは思っていたが、まさかこんな簡単な顔をした連中が他国のトラブルに巻き込まれないように自国の兵力を公にせず、それぞれが独自に人間型生命体をプリキュアに任命して戦闘を行わせて来ていたなんて一体誰が想像出来ただろう。最初から暴露して共同戦線を張っていれば、テレビシリーズのラスボスなどあっと言う間に殲滅出来たのに。

詳しく言及されていないが、敵の姿に驚く様子から見てこの時点の先代プリキュアたちはそれぞれのラスボスを倒した後のようである。平和を取り戻した筈なのに出て来る筈の無い(お馴染みの)ザコキャラを前にして「どうして」と言っている事からしてそれは確定であろう。それでいて今もマスコット達と一緒に暮らしている様な物言いをする所にどうにも解消出来ない破綻が覗くケースもあるのだが、もうそんな事はどうでもいい。それぞれのプリキュアの物語が実は同時期に、同じ関東圏の中で進行していたという事実の前には些細な事である。あんな地球規模の未曾有の大決戦が、この極東の島国の一角で立て続けに起こっていたというスペクタクル。都合により別々の視点で撮っていたが、それぞれのプリキュアという物語は、実際はプリキュア戦記とでも言うべき群像劇の一端に過ぎなかったのだ。

富野由悠季監督が「ターンAガンダム」で、無秩序に発生したシリーズ群を「何万年」という直感的に把握出来ない程のスパンに入れ込む事で同一世界観に取り込んだように、この「プリキュアオールスターズDX」は無関係だった各シリーズを「マスコットたちの内通」という1シーンで鮮やかに繋ぎ合わせたのである。鮮やかというには整合性が無さ過ぎるかもしれないが、シンプルなストーリー運びと各々が別のプリキュアの拠点を訪ねる途中だったという連環構造も手伝って、そこの所は力尽くで納得させられてしまった。

「そういうことならしょうがないか。」

作り手の思惑に乗れてしまえば、そこから先は楽しいだけの時間である。各プリキュアたちの戦闘エッセンスをちゃんと外さずに盛り込む所、各地に散ったプリキュアが徐々に集まって行く高揚感、そして何より”先代たちの方が現役よりも強いこと”。この手の全員集合ムービーで絶対に必要な事が高精度に盛り込まれ、60分はあっと言う間に過ぎてしまった。

シリーズ未見なら無用の映画だが、ひとつでも過去にこのシリーズを楽しんだ経験を持つ者にとっては必見の映画である。