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リゾートとエコロジー

作成年月日
2007年08月15日 00:00

通りすがりの見知らぬお婆ちゃんに「まぁ、白い肌ねぇ〜」と感心される程の皮膚も、連日のプール通いで着実に赤褐色へと変貌しつつあるが、テレビを付ければ呆れる程毎日水難事故で人が死んでいる。勿論それは日々加算されていく交通事故死や病死や自殺者の人数に較べれば一時的な、取るに足らない数なのだろう。平成18年の一日平均交通事故死者数は17,4人。最多日は31人で、最小日でも7人。お盆休みに一時的に増加する水難事故より交通事故死の方が数で言えば遙かに重大な脅威だし、そもそも病気や老衰まで含めればこの平成18年に死んだ人間は108万4488人いるそうである。海で溺れた20人や30人がどうしたと思われる位の数字かもしれない。

けれども、勿体無さという点で言えば、この種の事故死の悼まれなさは本当に群を抜いている。年に何回もない折角の長期休暇。家族揃ってのレジャーに出かけた先で溺れて死ぬ。死は往々にして不可避で容赦の無い物だけれど、こんな死に方だけは本当にゴメンだと、皆そう思っている筈なのに毎年この手のニュースは繰り返される。

エコロジーという観点で言えば人間の死というのは、とてつもないエネルギーのロスである。一人の人間を産み、育て、教育する為に、どれだけの費用とマンパワーがかけられているのか、その活動を支える為にどれだけのエネルギーが消費されたかを考えれば、このご時世ではとても看過出来ない事象である。「誰もいない部屋を20年間クーラーつけっ放しで冷やし続け、いざその部屋に入る前に窓ガラスが割れて中の冷気が逃げちゃった」よりももっと酷い。余程の事を人生が終わるまでにやらないととても元が取れない位に誰もが膨大な時間とエネルギーを費やされているのである。だからこそ、海で泳ぐ程度の理由で死なれては困るのだ。

反対車線から突っ込んで来る車、ガンや心筋梗塞、脳疾患。それらに較べれば水難事故というのは回避しやすい物の筈である。人間は水の中で生きられないし、人間は簡単に死ぬ。俺たちは気軽に海や川に入って良い生き物では無いのだ。高速道路を歩いて横断するよりも危険な事に、家族揃って出かけているのだと、皆本当に気付いているのか疑問に思う。少なくともそこは17時間車を運転した翌日に子供を連れて出かけられる程我々に優しい場所ではない。

一回の休暇の日数が短い事、多くの企業が一斉に休む事、普段子供と遊んだり旅行に行ったりするのが難しい事。様々な要因が重なって、この国の夏期休暇はとても慌しく、ハードである。いつでも自由に家族の休日を合わせられれば、行楽の選択肢もぐっと増えるだろう。この5日間、俺と娘は毎日近所の「子供プール」に通っている。水深60cmの流れるプールで、浮き輪を付けた娘から一時も目を離さず1時間少し泳いで帰ってくる。毎日遊ぶのであればこの程度のレジャーで十分楽しめるのだが、もし俺自身時間が自由にならず、年に数回5日程度の休みが取れるだけだったら、きっともっと楽しめる所に行きたいと思うだろう。けれどももっと楽しい所はもっとリスクも高い所である。日頃からよく行っている場所なら勝手も分かるが、初めて行く海はどこが深くなっているか、どこの潮の流れが速いかも分からない。

だから、よくよく慎重に考えなければいけない。先に述べたように水難事故の死者数は微々たる物である。費用対効果を考えれば医療や交通整備、取り締まり、悩み相談にお金を回すのがどうしたって先になる。企業の採算も考えれば誰もが余裕を持って休みが取れる日が来るのはまだまだ遠い。家に居たって死ぬ確率はあるが、わざわざアウェイに行くのであれば、それ相応の作戦を取るべきだし、相応の作戦が取れないのなら撤退して構わない。家族より大事な海なんて、この世のどこを探したってないだろう?