unlimited blue text archive

ニコニコ動画が醸す知の集積

作成年月日
2007年05月07日 20:20

ニコニコ動画のアカウントを取って以来、一日があっと言う間に終わってしまっている気がするのだが、それはちょっとまずいんじゃないだろうか。当初youtubeの二番煎じかと思ったが、見始めるとこれは破壊力がある。インターネットの普及からブログの隆盛、youtubeの登場とネット業界は幾度も跳躍点を迎えて来たが、このニコニコ動画はそれらに匹敵するインターフェースと言っていいだろう。

アカウントを取るのが遅かったので時間制限(02:00〜19:00)付きの閲覧だが、MADと呼ばれる個人編集の短編映像や子ネコの動画を見ていると時が経つのを忘れてしまう。ここまでならyoutubeでも同じ事が叶えられるのだが、このニコニコ動画ならではの”コメント機能”というのがたまらなく癖になるのだ。

本来映像媒体は個人を対象にした娯楽で、発信する側と受信する側の間には一方的な流れしかなく、さらに受信する側が例え不特定多数居たとしても、そこに横の繋がりは無かった。劇場やライブハウスで一体感の様な物を感じたり、或いはそのオーディエンスの反応が演者にフィードバックするケースが有っても、基本的に受信する側は内容を理解し、それに酔いしれるのにいっぱいいっぱいで、いくら人数を集めてもそれは”個人的な経験の集合”の域を出なかったのではないかと思われる。大多数の人間は映画館で上映途中にいきなり薀蓄を語り始める様な観客を迷惑だと感じるだろう。

しかし、ニコニコ動画ではそれが可能なのである。とあるアニメのMADを観ていると”この曲なに?”という書き込みが画面に流れて来たりする。それに対して数秒後に別の人間が曲名を教えていたりするわけだ。任意のタイミングでコメントを書き込める為、「魔法少女リリカルなのは」のMADを見ている時に人気のあるキャラクターが映った瞬間「フェイトはオレの嫁」というコメントが画面を覆う程書き込まれる(こういうのを「弾幕」と呼ぶらしい)のも微笑ましい。本来個人的なエモーションで完結する部分をみんなが寄ってたかって晒し、映像体験にあるまじき連帯感を醸し出しているのである。聞いた話では「ロッキーホラーショウ」という映画は上映の際に観客が乱痴気騒ぎを起こす事がマナーの様になっていたらしいが、そんな感じだ。

これまで作品を語る時は2ちゃんねるやブログのコメント欄で喧々囂々の討論が行われて来たが、文字数を稼げないニコニコ動画のコメントでは内容を論理立てる暇もないので自然と一番重要なエッセンス=感情の発露に収束していく。”好き”か”嫌い”の二極が乱れ飛び、しかもそのどちらが正しいのか決着を付けなくても良いという空気が心地よい。オピニオンの氾濫はネットの資料的検索性を落とす側面を持つが、動画に付加されたコメントは検索の対象に成り得ず、相応しい場所に相応しい内容が舞い躍っていると言えるだろう。作画がどうの演出がどうのと色々書いて来たが、対応する動画の対応する箇所に「ここたまんねぇなぁ」とコメントを入れる方がよっぽど健全な気もする。

相も変わらず著作権がどうのこうのと言ってファイルの削除を要求する所もあるようだが、それはもう、今回に限っては完全に読み違えていると言っていい。youtubeの様にただコンテンツが流出するのではない。それに関連する情報を在野の連中が勝手に広告してくれているのだ。こんなのをただでやってくれる広告代理店が世界中のどこにあるだろう?「この曲は誰々の曲」「この声優はあのキャラもやってる」「このギターはどこそこのやつ」そんな風に知識が高い方から低い方へ、持っている者から必要としている者へと爆発的に流通しているのである。これだけのプロモーションが無料で付いて来る話を蹴ってまでコンテンツを保護したいと願うのならそれは余程酷い物を作っているという自覚があるのだろうから無理強いはしないが、少しでも自社の作品に自信がある所は、決してこのチャンスを”著作権の侵害”などと言う妄言に惑わさて見送ったり邪魔したりしないで欲しい。過去から現在までのありとあらゆるコンテンツが、必要としている人間の所に誘導されるインフラが整備されるまたとないチャンスなのである。

どんなに優れた作品でも、それを世に知らしめねば潜在的顧客を獲得する事は出来ないが、これまでのプロモーションではその確実性に限界があるのだ。「『イデオン』を知らないけど観たら確実に嵌まる」潜在的顧客が居るとして、何か確実なプロモーションを提示出来る広告会社を一つでも挙げられるだろうか。ニコニコ動画ならその顧客まで結構な確率で誘導出来るのである。『マクロス』を観ていてコメントに「さすが板野」という文章を見つければ、そこからタグを辿って上手く行けば1〜2回のジャンプでイデオンの劇場版まで辿り着けるのである。これまでも「商売として考えてもいただけない」等で繰り返し言ってきたが、今回はもう決定的な場面だと自信を持って言える。世代を超えて知が拡散、集積していくこのインフラをコンテンツメーカーは全力で応援するべきだ。イヤ、本当ここが正念場なんじゃないの?