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Works 04(譲れない物、捨てられる物)

作成年月日
2007年04月17日 07:08

長らく休んでいた漫画制作を再開するに当たり、今回初めてComicStudioでのネーム作成に挑戦。これまで描いた漫画は全てわら半紙にネームを描いていたのだが、この休業中に液晶タブレットで絵を描く事に慣れてしまったので、どこまで出来るか分からないがデジタル制作を試してみようと思う。

液晶タブレットで絵を描く事に慣れてと書いたが、実は全然慣れていない。仕事の効率を考えてデジタルでの作業に徐々に移行してきたが、やればやるほど身に染みるのは「アナログの有り難さ」である。全体を見渡しながら瞬時に細かい所にフォーカス出来る利便性、素材と画材が干渉する事で高速かつランダムに発生するゆらぎがもたらす情報量。デジタルで作業をしていると自分の絵や物語を表現する為にこんなにも多くの要素が関与していたのかと驚かされる。例え絵が下手くそで、ペン入れも思ったところに綺麗な線が引けない程不器用でも、その稚拙なスキルが取り替えの効かない程自分の表現手段と癒着しているのである。昔はこの思い通りに行かない不器用さを呪ったが、色々な事があって今はそれ自体がとても大切な物だと感じている。下手だろうがなんだろうが、それがあってこそ他の誰にも描けない絵が成立しているのだ。

1枚絵のイラストにおいてはデジタル作業を選択した人が殆どだと思うが、漫画制作現場ではまだまだアナログの方が主流である。アマチュアの方はデジタルの浸透率が増加して来たが、プロの現場では今でも情けないほど手作業が幅を利かせている。描いている人達が何十年もそのやり方でやって来たから今更変えられないのだろうと昔は思っていたが、おそらくそれだけが理由ではないのだろう。絵柄やストーリーによって割合は変わると思うが、普通にデジタル作業をやっただけでは”本人でなければいけない理由”がポロポロとこぼれ落ちていく様な気がするのである。

背景だけでなくキャラクターの大部分もアシスタントに描かせる作家がいるが、殆どの場合その人達は恐ろしい程自身のタッチを要求する。本人よりアシスタントの方が上手い場合も多いと思うのだが、例えデッサンが狂っていてもその狂いも含めて再現させる。その理由が昔はピンと来なかったのだが、今はその気持ちに共感出来る。それは本人にとって、本人の漫画を成立させる為にどうしても必要なものなのだろう。もしかしたらそれは大いなる錯覚で、読む側からすればどうでもいい事に思えたとしても、描いている側からすれば絶対必要なアイデンティティなのだ。

中にはそういうこだわりを必要としない作家もいるのかも知れないし、もっと漫画制作のシステムが洗練され、異なる専門業者の間を素材が取引されて完成していくような作品も現れるのかも知れないが、自分はそうではなかった。傲慢に聞こえるかもしれないが俺の話で俺の絵で無ければ意味がない。こんな気分は随分久しぶりだ。そう言えば俺は他人の描いた漫画にはまるっきり用が無くて、自分の漫画の事しか考えていない様な人間だったのである。

そこの所を明確に自覚した今なら、デジタル作業でも大事な所を取りこぼす事無く作業出来ると思って、今回デジタルでの制作に踏み切った。本音を言えばやはりデジタルには楽な部分もあるのである。最終的にどれだけの割合でデジタル作業とアナログ作業が行われるのかは分からないが、今はもう訳も分からず試行錯誤を続けて来たあの頃とは違う。自分が何を描きたいのか、何故描きたいのかがもう分かってる。その為に必要な物は全て残り、そうでないものは面倒臭かったら全て捨てられるだろう。

終わってみれば「結局殆ど前と同じやり方で描いちゃった」みたいな事になっているかもしれないが、それはそれでしょうがない。ただ、出来たらトーン作業はデジタルで済ませてしまいたいな。一人暮らしでは無くなったので夜中にカッターナイフをキィキィ言わせるのは忍びないのだ。