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下手過ぎて嬉しい

作成年月日
2007年03月16日 07:53

ギターの練習をちみちみ続けて最近ちょっとピックにも慣れてきた気がする。延々オルタネイトピッキングの練習をしているとピックが手から消えるような感覚を味わえる様になって来た。(それは単に指が疲れて感覚が麻痺しているのかも知れないが)なので調子に乗ってパソコンに録音(nonsense.mp3)してみたり。

これまでシーケンスソフトとシンセサイザーだけで一音一音入力しながら編曲してきたが、それはとてもとても手間がかかる作業で、ちょっと思い立った時に1曲仕上げておこうか、とはとても言えない程気合と時間を必要とするものだった。コードを決めドラム、ベースを打ち込みピアノやストリングスを主旋律にぶつからない様に気を使いながら重ねていく。パソコンなら細かい所までいくらでもエディット出来るので「この音はもう少し短く」「やっぱりここはシの音で」「もうちょっとベンダリングをきつめに」と言った作業を、精根尽き果てるか飽きるまで続けて来た訳だがそこには喜びと呼べるような物は無かった。

シーケンサーの演奏はこちらの指定が間違ってなければ常に完璧で、時間さえかければこちらの思い通りの音を出してくれるのだが、それはつまり予定通りとイコールであって、その先にあるのは「退屈」である。ついついロックチューンをバラードにしたり、パンクをジャズにアレンジしたりして無理矢理ハードルを上げてスリリングな気分を味わったりもするのだが、音韻情報を決定した後はただの作業の繰り返しにしかならないのだ。上手い具合にアレンジがはまる瞬間は確かに「俺天才……」と悦に入ったりも出来るのだが、概ね殆どの時間は面倒臭さと上手く行かなさとの格闘に費やされる苦行に近い趣味だったのである。

しかし覚えたてのギターとなると話はまるっきり別で、なにせ弾いたらそれっきりだし(まぁ、やろうと思えば音価や音程もコンピュータで編集出来るのだが)いくら弾き直しても自分の実力以上の音は出てこないので録音したらもうする事がない。「これ以上はいじりようもない」という所にあっという間に到達出来るのである。コンピュータで創作活動をする場合絵でも音楽でも「どこまでもやれる」為に無駄にゴールが先に伸びがちになるが、この場合はあっという間に終了である。どの位早いかと言うと朝ご飯の後取り掛かって昼過ぎには終わる位だ。

そして出来上がった音声ファイルはやはりそれ相応のものでしかなくて「そこ遅れてる」とか「違う弦が鳴ってる」とか色々微笑ましいミスのオンパレードなのだがそういう”揺らぎ”のおかげで聞いていて飽きない。勿論これは弾いた人間から見た場合の話で、他人にとってこの揺らぎは苦痛以外の何者でもないだろう。 芸能で世に立とうと思えば「自分だけが楽しい」というのは表現者にとっては禁句というか、他人に評価されてなんぼというのは確かにあると思うのだが、そういうのはこれまでずっとやって来た。他人から見ればかなり自分本位な創作活動に見えたかも知れないが、「自分だけが良ければいい」と思って物を作った事は一度も無かった。第三者の目というのは意識するまでもなく前提としてあったのだが、ここに到りついに俺は「自分だけの為の趣味」を手に入れたのである。なんて甘美な響きだろう。俺だけが楽しめる物がこの世にあるなんて、それは随分素敵な事なのではないだろうか。

もしこのままギターを練習し続けてそこそこ上手くなってしまったら他人も楽しめるようになってしまうかも知れないから、今の内にこの蜜を吸い尽くしておこうと思う。