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ささやか過ぎる願いの系譜

作成年月日
2007年02月19日 04:02

藤田和日郎著「うしおととら」の作中で一番痺れたセリフは主人公、蒼月 潮が母親と再会するシーンでその母親から発せられた一言である。詳しい経緯は忘れたが妖怪を封じ続ける為に主人公を産み落とした後すぐにその役目に戻り、以来ずっと離れ離れに暮らしていた我が子と再会した彼女が主人公に向かって訊くのである。「頭を、撫でてもいい?」と。

このパターン。多大な犠牲の上に発せられたささやかな願いは、そのギャップが大きく、その内容が一見予想外でありながら聞いてみるとなるほどと納得出来るものであればある程良い。そういう意味で、この「頭を撫でてもいい?」は俺の知る中で一番破壊力のあるセリフである。十何年間、世界を守る為に子供の成長を観る事も出来ず、深い海の底でたった一人妖怪と対峙して来た母親が望んだ事がこれであった。そのあまりのささやかさに嗚咽を漏らすほど泣いたのである。「光と水のダフネ」の最終回でも、海洋庁を敵に回し世界規模の謀略を暴いてまで手に入れた物のあまりのささやかさに涙が出た。

さて、先日「魔法少女リリカルなのは」全13話を視聴した。もちろんDVDレンタルである。この作品がネットのあちこち(主に「趣味が合う」と思っているサイト)で好評を博している事がずっと気にかかっていたのだが、なかなか観る機会が訪れずついに業を煮やして全巻借りてきたわけだ。

正確に言うと観る機会が無かった訳ではない。それどころかこの作品の第1話の本放送を俺はチェックしていた筈なのである。しかしその時の感想と言えば、とてもここには書けない程の罵詈雑言の嵐であった。話の発端や、キャラクターの造形が余りにも「カードキャプターさくら」に似過ぎている事、魔法少女ものである事にかこつけて変身シーンで小学3年生の下着姿や裸体を延々映す悪趣味なサービス精神(普段着が魔法服に再構成される過程で裸になるのならまだ理屈が通るが、このアニメでは一旦下着姿になってその後更に下着が消えるというニ段構成になっているのである。)等、さぁ切ってくれと言わんばかりに俺の逆鱗に触れたので心置きなく第1話で切ったという経緯があるのだ。

そうして記憶から抹消したこの「魔法少女リリカルなのは」の事が放送終了後も度々好意的な評価と共に目に入ってくるので「あれぇ〜?」と思っていたのである。じゃあいつか観てみようと思いつつなかなかその機会に恵まれなかったのだが、第三期が放映されるというニュースを聞くに到り「もう待っていられない」と、レンタル屋で借りてきた訳だ。ここまで引っ張ってしまったのは監督が新房昭之というせいもある。この監督のひねくれたカット割りが俺はどうしても馴染めず、「月詠 -MOON PHASE-」「ぱにぽにだっしゅ」「ねぎま!?」等を通して「観たくない監督」としての地位を不動の物にしていたのである。

そういった複雑な経緯を経て観始めた「魔法少女リリカルなのは」だが、第1話を再見した感想は前回観た時と同じだったものの、その後の展開は少し様子が変わってきた。「カードキャプターさくら」を余りにも髣髴とさせる「ジュエルシード集め」という設定は早くもぞんざいに扱われ始め、逆鱗に触れた変身シーンも2度目の戦闘では略式起動によりあっさりとスキップされたのである。変身シーンというのは往々にして物語のテンポを悪くするのでこの選択は実に正しい。子供向けのパッケージでは許されない事だが、大きいお友達向けという事を逆手に取った定石崩しとして「なかなか見どころがあるじゃないか」と思わせてくれたのである。また、主人公の天井知らずの才能というのも観ていて非常に気持ちが良かった。先の略式起動や遠距離封印など、単純なパワーアップではなく「発想の具現化」が物語の変数度に大いに貢献している。……などと冷静に分析しながら観られたのもこの辺(序盤)までであった。

敵対する魔法少女が登場してから、この作品は少年漫画と少女漫画の両側面を同時に加速させる事になる。魔法の杖(インテリジェントデバイス)の性能を次々と進化させるプロットと、その敵対する魔法少女と友達になりたいという子供らしい願いが相互に噛み合い、結局主人公がその少女と友達になる為に「相手を完膚なきまでに叩きのめす」第11話で同時にクライマックスを迎える所ではもう完全に陥落し、最終回のBパートに到っては、この作品を1話で切った己の短慮を恥じながら滂沱の涙を流していたのである。

この最終回はなのはの願いが叶ったという体裁を取りつつ、相手役のフェイトが強迫観念ではなく初めて自分の意思で自分の願いを持ち、それを口にする事で物語の幕を下ろす。この物語の主人公は一応”なのは”であるが、彼女の願いが叶う事は大した意味を持っていない(実際それは第11話で叶っていると言える。)元々彼女は自身に大した問題を抱えていたわけではなく、この先も彼女の望みは大なり小なり叶っていくと予想出来る。この物語において救済されるべきだったのは”フェイト”の方であり、本当に魔法を必要としていたのもフェイトの方である。インテリジェントデバイスを自在に操るなのは自身がフェイトにとって本当に必要な魔法の杖、奇跡を起こすインテリジェントデバイスであるという美しい重層構造を構築して、この物語は幕を下ろす。

彼女がその魔法の杖を手に入れ、最初に願った事は「今は離れてしまうけど、きっとまた会える。そうしたら、またキミの名前を呼んでもいい?」という、やはりとてもささやかな物だった。そのささやかさと、そのささやかな魔法が発動する瞬間を完全に描き切ったという功績を讃えて、この作品は我が家で殿堂入りを果たす事になったのである。