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闘争本能を考える

作成年月日
2005年06月13日 00:12

漫画やアニメでよく聞く単語に「闘争本能」というものが有る。別に漫画に限らないか。一般の人も「闘争本能に火をつけろ」だの、「奴は闘争本能の塊だ」とかそういう使われ方で少なからず目にした事が有るのでは無いだろうか。戦争を取り扱ったアニメなどでは(近年ではターンAガンダムもそうか)「人は闘争本能を持っているので戦争はなくならない」というロジックで使われる事が多い「普段は理性で抑えているが、原始の頃から連綿と繰り返してきた闘争の歴史が、人間が闘争本能を持ち、それを捨てられない事の証左である」という論旨は少し前まで作劇の中で繰り返し主張されてきたように思う。しかし冷静に考えれば、それは少し違うのではないか?と思うのだ。

またまた永いスパンの話で恐縮だが、人類は生物誕生からこっち、殆どの年代を被捕食者として過ごして来たと考えられている。いつでも自分より強い生物に怯え、隠れて暮らして来た筈だ。魚だった時も鼠だった時も猿だった時もヒエラルキーのトップではなく、他の生物を知恵と集団の力で圧倒出来る様になったのはここ最近の話だ。その様な歴史を生き抜いて、人間は現在の姿になっている。もしこの歴史の中で「戦うのが好き」という本能が芽生えていたら、とっくに絶滅していたのではないだろうか。だっていつも弱かったんだもの。弱いのに戦いを挑んでいたら命がいくつあっても足りない。

そしてコレは別に弱い生き物に限らず、強者にも多少のリスクが発生する以上、全ての生物に当てはまる事だと思われる。「なるべく戦いを回避する」事を望む種でなければ、生存率は下がるはずだ。地球ルールのトーナメントで生き残る秘訣は「普段は極力戦いを避け、空腹や敵に襲われた時の様な緊急事態の時には全力で戦う」事ではないだろうか。戦闘時にはそれ用の脳内化学物質が分泌され、普段とは違う興奮状態を経験する。それを快感と勘違いしてしまうかもしれないが、快感である筈が無い。それを快感と感じる様には進化していない筈だ。

交配期にメスの気を引く為、他のオスと戦う事は色んな生物で見られるし、局所的、短期的な範囲でなら、戦闘に長け、かつそれを好む個体が食料や報酬に恵まれ生存を有利にする事もあるかもしれない。しかし永いスパンで考えるなら「戦いを避けようとする事」が生存に有利に働いてきた筈だと思うし、そうでなければ我々人間が今ここに居られる筈が無い。弱い集団の中で戦闘を好み、またその素質を持ち合わせたものはその特性を次世代に遺す機会は増えるかもしれない。しかしその割合が一定以上に増える事はない。増えればより強い個体に淘汰される機会も増える。

大多数の人間には闘争本能などない。ある筈がない。人間は、争いを好まない。

この結論が妥当かどうかはもう少し検証する必要があるが、今自分はそう信じているし、娘が大きくなった時にも、そう教えてあげられればいいなぁ、と思っている。

続く