unlimited blue text archive

一枚の繪

作成年月日
2006年08月02日 03:26

ゲームの背景を描き始めて1年半、未だに思ったとおりの色を置けず四苦八苦する日々だが、少し変化が起きた。今月分の仕事を昨日納品したにも関わらず、今日も絵を描き続けている。仕事ではなく、誰に見せる為でもなく、液晶タブレットにガシガシ塗っているのである。

これまで「色の付いた絵を描く」という行為を自発的に行う事は殆ど無かった。自分にとって絵と言えばモノクロであり、さらに言えば絵は物語を伝える為のツールでしかない。話を書く為に絵を描く必要があった訳で、例えば一枚絵のイラストを描く様な場合はそれが自身のキャラクターであっても退屈でしかなかった。ルーブル美術館に飾られている絵とアニメ雑誌の表紙の絵は自分にとっては「物語のツール」ではないという意味で、全く同じものであった。自分にとって「たった1枚の絵を描く」という作業は殆ど意味が無いので、仕事以外でそんな事をしようとは思わなかったのである。

けれどもここに来て幾つかのエポックメイキングな事が起きた。まずは出力環境に少し変化があった。馬鹿みたいな話だが作業ファイルの面積を徐々に大きくして行った結果2560×1920ピクセルの段階で不自由な感じが消えた。フォトショップのバージョンは現在7.0だが、6に較べてブラシが使いやすくなったのも大きい。

そして入力。きっかけは現在公開中の「時をかける少女」のポスターの背景を見た事だろう。急な坂道を望遠で真正面から抜いた構図と夏の空気を存分に湛えた色使いと筆使いに心底惚れた。完成版では手前に登場人物達の絵がフィックスされているのだが、背景だけでも十分に鑑賞に耐える、いつまで観ていても飽きない逸品である。

その前に「草薙」という背景美術制作会社の画集を買っていたのだが、これが「上手いんだけど自分の理想と微妙に違う」という事に気付いた事も、この「時をかける少女」のポスターとの出会いに大事な役割を果たした。これまでは上手く行かないのを何とかしようとする事で手一杯だったが(それは今も大して変わらないのだが)、この時点で目指すべき指標を探し始めていたのである。

当たり前の話だが上手い絵というのは探せば沢山ある。BOOKOFFで「一枚の繪」という雑誌のバックナンバーを片っ端からめくり、気に入った絵が一枚でも載っていれば抜き出してレジに持っていった。家に帰って眺めてみれば気に入った絵は殆ど同じ面子の作品であった。今のお気に入りの内、公式サイトで絵が見られる作家は

あたりか。

俺には絵を見るセンスが欠けているので、これまで極稀な例外を除いて展覧会に飾ってあるような一枚絵を気に入る事は無かった。正確に言うと共感出来なかったのである。「絵だけを描く」と言うのは、漫画を描く事に較べて随分とアーティスティックな作業に思えた。摩訶不思議なセンスや卓越した才能で有象無象をキャンバスに描き出す事は、自分とは関係の無い世界の出来事だと感じていたのである。それは恐らく自分が技術を知らなかったからなのだろう。

今も技術は無いが、キャンバスに「描かなかった方」の色やタッチが想像出来る様になった。絵を描く時に幾つかの選択肢があった事、そしてその絵描きが意識的にしろ無意識的にしろ幾つかの選択肢の中から一つを恣意的に選んだ事が伺える。もし自分だったらこっちの色を塗っていたかも知れない、と思ったりする。目の前にある絵ではなく、描かなかった方、あるいは自分だったらこうしてしまっていたであろう絵を見ているのだ。そしてそれら「描かれなかった」絵に較べて目の前にある「描かれた」絵が格段に優れていた時に、「良くこっちを選んだなぁ」と感心しているのである。だからこれは感動ではなく共感や尊敬と呼ぶべき感情なのかもしれない。

これまで別世界の所業と思っていた「絵だけを描く」という行為は、結局漫画を描くのと同じくらいにロジカルな作業なのだと思った。自分にとっても、また先に名を上げた彼らにとってもきっとそうなのだと思っている。テーマを決め、コマ割に頭を悩ませセリフを吟味しトーンのナンバーを決めるのも、モチーフを決め、絵の具を混ぜ、キャンバスの上で筆やナイフを躍らせるのも、ただ一つの「表現したいもの」を表現する為の最適な解に辿りつく為の行為であり、その為の取捨選択が連続して行われるという点で両者に差は無い。絵描きの事を宇宙人か何かの様に思っていたが、どうやら彼らは同僚だったようだ

また「線の無い絵」と格闘する作業は漫画絵の方に関しても色々な事を気付かせてくれるのだが、それはまた別の機会に書く事にする。

今は絵を描くのが楽しいが、朝から晩まで絵の事ばかり考えているので正直疲れる。こんな感覚は久しぶりだ。一枚絵であれ漫画の絵であれ、「絵」に関してはしょうがなくやって来たつもりだったが、もしかしたら案外俺は絵を描くのが好きな人間なのかも知れん。