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パソコン黎明期

作成年月日
2006年04月30日 01:54

つい数年前まで自作すら出来ず(檜木さんが見るに見かねて教えてくれた)未だに2進数ですら満足に読めない自分だが、パソコンとの付き合いは驚くほど長い。小学校低学年の時にはすでに我が家にはパソコン(当時マイコン)があったのである。覚えている中で一番古いコンピュータはテープレコーダーでソフトを読み込んでいた頃のものだ。ウチの親父がオタクだったのである。

コンピュータに繋がれた(今思うとあれはどういう線だったんだろう)小さなカセットプレイヤーが置いてあり、そこにカセットを入れて再生すると「ピ〜ガリュブガグルグル……」という変な音が延々何分間も流され、運が良ければ読み込み成功。悪ければテープを「巻き戻して」もう一回、という手順を踏んで、やっとソフトが起動するという仕組みだ。磁気に記録されたプログラムを読み込んでいたのだろうが、今にして思うと逆にハイテクな感じがする。

休みの日には「BASIC」とかいう雑誌の後ろの方にある意味不明の数列(マシン語)を、お小遣いを貰って読みあげて親父が入力する手伝いをしたりしていた。世間でインベーダーゲームが社会現象になった時、我が家ではそれを無料で遊べたのである。もっとも最初のバージョンでは敵はインベーダーではなくトランプのスート(ハート、ダイヤ、スペード、クラブ)だった様な気がするが。

カセットテープ時代には読み込む手間が面倒で、あまりゲームを嗜む事も無かったが、フロッピーディスク(5インチ?)の登場で状況は一変する。アレを初めて見せられた時の感動は今でも忘れられない。

「ちょっと見てごらん」と親父に呼ばれ、その何だか分からないペラペラの封筒の様なものが差し込み口にカチッと入り、カチカチ言い出すやあっと言う間にディスプレイに見たことの無い色鮮やかなゲームのタイトル画面が映った時には何事が起きたのかと驚いたものだ。(確か「Threshold」という名前のシューティングゲームだった)

その後「チョップリフター」「キャッスルウルフェンシュタイン」「ウィザードリィ」、そして名前も思い出せない(あるいは英語なので読めなかった)ゲームを散々やった。おかげで「スーパーマリオ」も「ドンキーコング」も我が家では素通りである。ファミコンもスーパーファミコンも買った事がないのだ。クラスの同級生達がマリオの裏技の話で盛り上がっているのを尻目に、一人家に帰って英和辞書を引っ張ってきて「あ、『僧侶』って意味か……」等と訳の分からない独り言を呟いていたのだ。

話が脱線したがその後も親父のパソコン趣味は延々と続き、俺はといえばちょっとだけ「BASIC」を書いただけでコンピュータに対する興味は芽生えなかった。(「出来る人間が他にいるなら自分は覚えなくても良い」というロジックはこの頃から既にあったようだ。)

結果東京に出てきた後も、親父が使わなくなったお下がりのマシンが度々運び込まれ、それに何か問題が発生すると檜木さんがやってきて直してくれるという、今思い返すと「あひゃあ」な生活がつい最近まで続いてきたという訳だ。

振り返ってみれば俺も一応進歩しているではないか、と思うのだが、当時のパソコン(マイコン)の姿に思いを馳せるととてもその進歩の早さには敵わないなぁと思う。

誰もが当時を振り返って「まさか『ギガ』なんて単位を使うようになるとは思わなかった」と言う。そしてそんなセリフは間違いなく20年後にも繰り返されるだろう。そう考えると、ただ脇から眺めていただけの自分にも、何か感慨深い物が胸の奥に宿るのである。